オンナイ念仏会

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三日市の「オンナイ念仏会」の様子。夜の寺門前で、提灯の灯りの中、集う人たち。

毎年8月4日に、三日市で行われる「おんない」をご案内いたします。

8月4日に、三日市二丁目の「如来寺」「太子寺」で、「オンナイ念仏会ねんぶつえ」が催されます。「おんない」「おんない」とも呼ばれます。

行事の由来

この行事には、次のような故事があります。

延慶三年(1310年)、親鸞聖人の直弟子の顕智けんち上人(真宗高田派の本山である専修寺の三世)が、この地の三日市如来堂で説法をしていました。
顕智上人は説法を終えると、7月4日夕刻、村の南方「一つ橋」というところで忽然と姿を消してしまわれたそうです。

当夜は大雨。蓑笠姿で草取りに出ていた村の衆は、念仏を唱えながらお探ししました。

それがこの催事の由来だそうです。当初は、上人を探したときと同じ蓑笠姿で行事をしていたそうですが、やがて写真のような傘鉾を使用するようになりました。傘は「魂の依代」と考えられています。

「傘鉾」は姿かたちを変えて、いろいろなお祭りで見かけますね(祇園祭、神田祭、ほか)。

「おんない」とは?

「おんない」は「御身無」の言葉から出たものとするそうです。ただ、「恩愛」とも記すようです(恩愛会と書かれた古文書があるとのこと)。

上人さんの「御身おんみ」が「無い」と探したことが理由でしょうか。または、上人さんから受けた「恩愛」を忘れぬように、という意味でしょうか。

親鸞聖人が説いた浄土真宗の檀家が唱える和讃の中には、「恩愛甚だ断ち難く」という一節があり、唱和するときは「オンナイハナハダタチガタク」と唱えます。

三日市の「オンナイ念仏会」の様子。提灯を持った人々が和讃を唱えながら歩む。

神秘的な夜

8月4日の夜、三日市の「如来寺」「太子寺」に、笠を被った人々が集います。手には提灯。そして魂の依代である傘鉾。

人々は東組と西組に分かれ、円陣を作って村の要所要所でうつむいて静かに唱えごとをし、次の箇所へ移っていきます。
唱える言葉は「和讃」にも似た声明調。民俗学的にも文学的にも興味深いものです。次はその一節。

いちがみの いがきのうちの ひめこまつ もろともにじげぞさかゆる

夏の夜祭りですが、静かな、神秘的な夜です。

昭和50年3月27日、三重県の無形民俗文化財に指定されました。

参考文献:新編 鈴鹿市の歴史 改訂版

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